Kittaさん訪問記

澤野さんとKittaさんご夫婦は、可愛い娘さん2人と暮らしていて、草木染の仕事をして おられる。拙宅から車で3分くらいのごくごくご近所なのだ。
http://www.kitta-sawa.com/
(Kitta虹色草木染)

T−いつ鴨川に来られたんでしたっけ?

K−2006年3月、兵庫県の明石から。実家がつぶれそうな旅館(^^)で、その屋上で玄米菜食のcafeをやってたりしていました。
友人の一人から地域通貨レインボーリングの安部さんのことを聞いたり、「エンデの遺言」のDVDを見たり、「満月の集い」というイベントをやったり・・・・して。

明石の前には東京の青梅に住んでいて、いろんなネットワーキングをしていたんです。脱都会志向はその頃からあったんですね。

子供が出来て明石に帰ったんです。子育ての過程でシュタイナー教育に出会い、子育てのために、田舎に住みたいなと思って鴨川に来ました。

Tどうして脱都会?

K−話せば長いんですけど・・・・(^^)。13歳(中学1年・1987年)から高校中退する頃まで、パンクから入ってスカやレゲエ、ソウルなんかの黒人音楽やオタナティブな音楽、ファッション、アートなどのカルチャーに出会って神戸や大阪のライブハウスにやクラブ、ギャラリーなんかに入り浸っていました。

バブル期、何でも買ってもらえたが、何かに餓えている世代、その何かが解らなかった。それがパンクに引かれた原因かな。パンクのスピリッツは自分にとって”王様は裸だ”といえる自分の感性を大切にするということ。型にはめられたくないということ。

T−ほー!おじさんにロックの流れを教えてくれます?(^^;)

K−1950年代は、ビートニクスの時代で、文学と音楽。jazzやbluesからロックの前駆流。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF_(%E9%9F%B3%E6%A5%BD)

60年代はに、ヒッピームーブメントが起こり、サイケデリックロックがうまれたのね。Summer of Love。
70年代後半から80年代前半に、イギリス労働者階級の反体制的パンクが登場。

80年代頭頃は、機械的リズム、キーボードの打ち込みのテクノ的なニューウエーブ。
80年代後半second summer of loveと呼ばれるテクノ、レイブmovementが起こり始める。この頃わたしは中学生、インディーズのバンドの夢中の子供でしたが。

90年前半は日本でもレイブカルチャーが盛り上がり、ヒッピームーブメントの再来といわれる second summer of love。
わたしもライブハウスからクラブへ移行。ダンスミュージックにはまっていました。
NYやLONDON、インドに旅して踊りまくる(笑)。

もちろん音楽とともに異文化、アート、食べ物からオーガニックやベジタリアンの思想にであったのもこの頃で、海外での出会いと日本では91年の「いのちのまつり」に参加して、その頃17才。カルチャーショックを受けました。
こんな生き方をしている人たちが、こんなにいるんだ。しかも日本に!という衝撃で目からうろこが。

音楽とファッションをきっかけにオルタナティブな生き方に出会ったという感じです。

90年代中頃(20才頃)、70年台終わりにうまれたambient musicに出会い、音楽への意識が変化しました。
その頃から自然や環境に対する自分の姿勢が明確になってきた。
本の旅人ミュージシャン達との出会いもあって、より 自然界と呼吸のあう、アコースティックなサウンドに惹かれるようになりました。

そのフィーリングと菜食(今はそんなにがちがちじゃないけど)への移行、すべてがつながり、生かし合うような生き方への憧れはシンクロしていると思います。
そのころから自分の手作りした洋服を人に声をかけてもらって販売するようになっていました。

最初は既成の布を用いて、その後化学染料で染め始めて、90年台の終わりごろ草木染を始めました。
マンション住まいで化学染料の染めをやっていたんだけど、やっぱり自分の出している排水の行き先が気になって・・・・・。
やっと森や川、海や空がつながっているという当たり前のことのなかに奇跡を感じ始めた自分だったのでいろんな葛藤がありました。

ある野外音楽イベントで夜通し踊って夜が明けていく自然の美しさに感動していた時、はっと気付かされたのが人間の身につけている服の色の不自然さでした。
素材も含め、なんとも浮き上がったように見えました。
こんなにも美しい山や、空、水や土の色たち。
自分達人間がなんともみじめに感じられました。

中学生のころから「なぜ人間はこの空や海のようにうつくしくないのだろう」と感じてきたことが ここに来て、「そういうものがつくれたら」という希望に変わりました。そして草木から色を頂くという「草木染」をはじめ、すこしづつ自分も癒されていったように思います。

T−好きなロックグループは?

K−中学時代はcrashやramones,日本ではblue heartsが好きでした

http://music.yahoo.co.jp/shop/p/12/61416 (crash)
http://www.wmg.jp/artist/bluehearts/ (blue heats)

T−レゲエは?

K−好きですよ。ボブ・マーレーにはかなり影響を受けたし、ナイヤビンギと呼ばれるラスタたちの祈りの音楽が特に好きです。
ロックステディやカリプソ、メントみたいな音も好き。
http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/bob-marley.htm 

2000年代は、多様性の時代かな?主流がなくなってしまうのね。

今は日本では衣装も作らせてもらっているのだけどサヨコオトナラ、素晴らしいですよ。現代の神話を作っているバンドだと思う。

http://www.alte.com/sayoko/news.html 

あとは友人たちの歌う歌や音楽をよく聞いています。夫も染め物と音楽をやるのだけど、くらしの中に音楽があるのが自分にとって最高です。
お風呂に入っていると夫がと也の部屋でギターを弾いている。
隣の田んぼの蛙の声と重なって、「いまここ」でしかありえない音楽が奏でられる。

子供が夫の作ったうたや私のつくったうたを口ずさんだり、自分で即興でうたをつくって歌ってる。そんなのが自分にとって最高に自然であたたかい音楽のありかたです。夫はCDも自主制作していてkittaのHPで聞けるので是非聞いてみて下さい。
虹色草木染kitta http://www.kitta-sawa.com/

T−フェミニズムについては?

K−人間の中には女性性と男性性双方があると思うんですね。男にあっても、女性性も男性性も否定せず、両方を解放する。本当の女性性ーいのちを育む、いのちがこの地球上でつながっていることをわかった男性こそが男の中の男では。

T−子育てのためのシュタイナー学校はどうでした?
http://steiner.blume4.net/steiner.html

K−やっぱり公立の小学校に通わせながらのシュタイナー教育は難しいですね。2つの価値観に迷ってしまいます。大人も子供も。ギャップが大きいんですね。公立学校で学んだ内容を、親がシュタイナー的価値観で批判すると、子供は迷ってしまいますから 否定することは出来ない。

でも、出会った時、シュタイナー教育はなんて美しいんだろう、と衝撃でした。例えば数学にしても全ての教科、が連動しているし それは世界がすべてつながっているということでもあります。数学は美しいもの、ひいては世界はうつくしい、そのことを体験を通じて感じさせるんです。

あとはサティシュクマールのシンプルで、人間的で、東洋的な思想にも共感しています。

T−地域通貨安房マネーは、活躍していますか?
http://www.awa.or.jp/home/awamoney/

K−鴨川に移住した当時、本当にお金がなかったんですね。その時、お金って必要だ!と思い、必死で仕事(ものづくり)をしました。お金がないと生きていけない!
その時、地域通貨でお米が買えました。希望でした。サバイバルツールになっていたの。

T−安房マネーを何に使っていますか?

K−先日、笹谷窯(陶芸)での雑穀料理で、米山さんが100%アワマネーで料理を提供していました。ガーン!それで、草木染の服2万円のうち、1万 円を安房マネーで提供したことがあります。その時時のわが家の経済状況に応じてですが。

でも、最近は友人との物々交換が多くなっていますね。お金をやり取りしない方が、気持ちがいい場合がありますよね。

T−僕たちの世代(団塊世代以上の)には、根底に、お金は不浄なもの、汚いものという感覚があるようにおもいます。

K−お金で何でも解決してしまうことに嫌悪感があったのです。だから、中高生の頃、親に”お金なんかいらない!”と言い続けました。言ってる割に世話になってばかりでしたが。でも、お金も良く使えば社会をよくできるツールです。そのためには、知識、情報、直観力(アイデア)が必要ですね。

買うんだったら、本当にいいものを買う。本当にいいものって何か、考えながら買っています。もちろん自分のつくるものについても いつも考えています。
遊びもありながら、いいものを作りたいのです。元々、一番の遊びだったもの(ものづくり・草木染)が仕事になったな〜という感じなので・・・。

T−Kittaさんが目指している方向は?

K−例えば、昔の人や今でもアイヌやネイティブの人がまとっているものは単に服ではないと思うの。「いのり」のあるものだと思うのです。
お母さんが家族のために幸せを願ってつくるもの。身にまとうお守りのような。
そこにはものを越えた思いと感謝があふれてる。
そういうものを自然(素材の自給)と自分の知恵と技術だけで産み出せるようになる。
それが最終目標です。まだまだ・・・・。一歩一歩と歩み出したところですが。
あとは、みんなが自分のものを「買う」から「つくる」にシフトしていけるようにワーク
ショップをひらいたり、一緒に作業したりしてつたえていけるといいなあ。

T−どういうコミュニティーを夢に描いています?

K−明石にいた時、財布1つのコミューン的くらしをしていました。でも、それは何か窮屈でした。
それぞれの人が自立していて、いい距離感を保ったようなコミュニティーがいいですね。コミュニティーの中で係われるフィールドを決める。まずは、自分たちのくらしを大切にしたいです。

これからはカリスマの時代ではなく、多様性の時代。みんなが主役になる、そんなコミュニティーです。

T−すきな言葉は?

K−「いのち」。

T−今関心のあるテーマは?

Kー「お金と暦と性」。鴨川に来て、今まで植えつけられていたこの3つの固定観念をはずしてきたように思います。
”お金がないと・・・・・・”という固定観念は、地域通貨ではずしてきました。

従来の直線的な時間の観念。それは西洋の暦によっているのですが、最近であった地球暦は時間は直線でなく、円を描いて進むことを前提としたカレンダー。

あとは性に関する植えつけられた価値観。ジェンダー。性は聖なるものなのに、商業的におとしめられたものにされているのです。

自分の役割ってなんだろう?とず〜っと考えてきて  子供を生み、育てること、命をつなげること・・・・・・が自分の役割かなと。後は、楽しむこと!

Tーありがとうございました。