小林ゆうこさんインタビュー

安房ルネッサンス 小林ゆうこさんインタビュー
田中正治

小林ゆうこさんプロフィール
1984年生まれ。 神奈川県出身 両親と兄妹の5人家族 高校在学中にパーマカルチャーや「わら一本の革命」の本に出会い、自給自足生活に憧れを持ちつつも卒業後就職。2009年5月に会社勤めを辞め、鴨川自然王国にて1年の期間限定で研修生として住み込みをし、2010年6月、金束地区に移住。田んぼと最近借りることができた畑に通う事とお友達とお話ししたり、村のおじいちゃんおばあちゃんの凄い技を発見!するのが大好き。大地と共に生き、毎日普通に生活することの大事さを大切にしたいと日々奮闘しています。皆にはゆうこちゃんは魔女だね〜って言われます。(自覚はないですが、魔女になれたら嬉しいな♪)

T−子供のころは、どんな子供だったの?
K−幸せだったと思う。たぶん。両親は健在だったし、父方の両親とも同居していたんです。

T−中学2年生の時に不登校
K−学校がつまんなかったの。女生徒同士グループを作って行動していたが、誰々ちゃんがどうのこうのetc・・・って、馬鹿馬鹿しい。
この勉強をして何になるのかなーという疑問やテストでいい点とって、いい学校へ行って・・・・?私はいったい何をしたいんだろう・・・・・・?もういいや!と学校に行かなかった。引きこもり、本を読んだ。図書館にもよく通った。

T−図書館でどんな本を読んでいたの?
K−推理小説環境保護の本。イルカや鯨保護運動があるのを知った。海洋汚染、環境汚染をはじめ地球が大変なことになっている。この先、地球はどうなるのだろう。植物の本や心理学の本を読んだ。ユングの本もさらっと。
考える時間だけは沢山あって、何のために生まれてきたのか?何のために生きるのか?どこから来てどこに行くのか・・・・? 学校の授業にはその答えはない。

お母さんは泣いちゃうし。“ゆうちゃん、どうしちゃったの?”って両親は心配していたわ。父は5人兄弟の長男で家を支えるために早くから勤めに出ていたので学歴は中卒。本当は高校に行って勉強したかったみたい。でも私は、学校を断固拒否!14歳の時だった。自我の目覚めなのかしら?生きていても仕様がない。生きている意味がない。何をしたらいいのかわからない。あぁ、死ねばこの苦しみから解放されて自由になるのかしらと。

ある夜、寝ながら考えていると、声が聞こえてきた。不思議な声。この世に生まれて来たものは無駄なものはなく、ただ、いのちが存在しているだけでよい、祝福されているのだということがわかった。このままでいいんだ、ということがわかった。もう少し頑張ってみようと思った。


ある日、担任の先生に呼び出されて、中学卒業には出席時間が足りない。不登校の子が通うところがある。そこに通えば出席日数がとれるので卒業できるのでいってくださいと言われ、そこに行くことになった。
そこの先生たちがすごくいい人達で、お茶のみ友達のような感じ。授業なしでお茶飲みながら雑談をして、本気で卓球やテニスをしたり。でも、“数学教えて“といえば教えてくれる。あったかい人ばっかりだった。

色々疑問をぶつけた。私の話しを最後まできちんと聴いてくれ、その人なりの意見を言ってくれた。中学3年の1年間くらいだった。親友も出来た。そこの先生とは、今でも年賀状を交換したり、食事に行ったり、旅行したりと交流が続いている。いい人と出会えた。すごく感謝している。人との出会いは宝物ね!

T−現在引きこもっている人に関してどう思います?
K−原因は人それぞれちがうので、一概には言えない。他人や社会のせいにすることがよくある。でも自分に起きたことは自分が引き寄せたことなので、素直に起きた事実を受け入れることが大切かな。良いことも悪いことも続かないもの。世の中+−=0。人生もそうなのかな。物事は起こるべくして起こり、意味がないものはひとつもない。そこから自分が何を学べるか、だと思う。どうしようもない、生きている価値がないと思うことがあるけれど、この世に生まれてきただけで祝福されていると思う。自分を甘やかしても良いんじゃないかしら。

T−教育、学校はどうあってほしいですか?
K−今の学校は、会社人間育成工場。そうじゃなくて、一人一人の好きなこと、それを伸ばすような教育が必要。すべてが資本主義のためのシステムになっている。お母さんのおなかの中から墓まで、資本主義の奴隷みたいなもの。だけど、私はそうじゃない生き方がしたいの。もっと一人一人に向き合って欲しい。

資本主義が生まれてきたときは純粋だったと思う。でも今の資本主義には疑問を感じざるを得ない。物が沢山あれば満足?経済優先主義が、お金に換算できないものを認めてこなかったのね。里山の美しさ、百姓仕事もそう。お金は便利、生産性を考えれば効率的。ではなぜ、私は穀物を育てるのか?小麦の在来種を引き継ぐのか?

お金に換算できるものはほんのちょっぴり。換算できないものは・・・・田植えをしたときの心地よさ、それはお金に換算できない。草刈した後の美しい姿、誰にほめてもらうわけでもなく・・・。自分で料理することも、友達と会話することも、インタビューのこの瞬間も、私にとって価値あること。

2000年、高校生の頃、出会いがあったの。福岡正信著「わら1本の革命」とパーマカルチャー。「わら1本の革命」は衝撃的だった。真っ向からいろんなものを否定していた。福岡さんは自分の思想を表現するために農という表現を使っていた。それまで、資本主義万歳ばっかりの本しか出合わなかったが、福岡さんは資本主義を真っ向から否定していた。


福岡正信さん

T−パーマカルチャーについては?

K−中学生の頃、賭殺の本を読んだことがある。肉はこういうふうになってスーパーに並んでいることを知ってショックだった。ものがどこから来たのか考えたことがなかった。こういう育て方をして、こういう終わり方をしているんだ!その時、お肉を食べるのをやめようと思った。賭殺の話をしたが、親はわかってくれない。“お肉を食べないと成長しませんよ、困ったわね。”と母。

環境の本→「わら一本の革命」→パーマカルチャーと進んでいった。ビルモリソン著「パーマカルチャー」を読んだ。著者はタスマニアの小さな村で育ち、必要なものは何でも自分で作った。靴や金属細工、魚も獲ったし、作物も育て、パンも焼いた。仕事をひとつしか持っていないという人は見た事がなかったし、およそ仕事と呼ぶべきものを持っている人はいなかった。誰もがみんないくつものことをして暮らしていた。このような生活をしている人がいるなんて!!とすごく興味がわいた。それで、2003年パーマカルチャー・デザインコース(1年間、パーマカルチャー・ジャパン主催)を受けた。自給自足生活ってすごいな〜、地に足が着いているな〜と思った。受講生とも話した。出会いがあった。こういう生活を将来したいなと思った。


★ビル・モリソン

でも、土地がないとな〜、土地は買うものかな〜、お金がないとな〜と思い、知り合いの勧めもあり不動産屋さんに就職した。勤めて何年かたつ内に、理想とする生活と現実の生活とのギャップを痛感。収入はある程度あるが出て行くものも多い。

その頃、従兄弟の肝硬変が悪化し入院。3か月ほど集中治療室に入っていた。以前から入退院を繰り返していた。肝硬変から肺炎にかかり、長期治療のかいもなく危篤状態となった。2008年12月21日、奇しくもその日は私の誕生日。親族全員が集まり、最後のお別れに行った。従兄弟は体中管だらけになり喉には人口呼吸器をつけていた。喋ることもできず動くのは目だけ。薬で意識は朦朧としていた。お別れの挨拶をした。笑顔で話しかけたが彼を見て言葉に詰まり、目は涙で霞んだ。人は死ぬときこうなのだという姿を見た。帰り際、思った。彼は生きたかったはず。自分が彼の立場だったら?一体今までの私の人生は何だったの!?好きなことをやろうと決心さえすれば今すぐにでもできるのに・・・。お金がなく苦労しても、自分の生き方を貫こう!そう思い、会社に辞表を出し、自給自足の生活がしたいと思える場所を探しに行った。


鴨川自然王国

鴨川には以前遊びに来たことがあり、その時に鴨川って素敵なところだわ〜と思い、でも伊豆も暖かくてカラッとした風が気持ちよくていいな〜と思ったりしたが、まずは鴨川に寄ろうと思い、調べていくうちに「ふるさと回帰センター」を知り、鴨川を訪ねた際に寄ってみた。中学生の時、藤本敏夫さんの「ぼくの自然王国」を読んだことがあって、こういう大人の人がいるんだ〜と思っていたので、回帰センターの人に“自然王国ってまだありますか?”ときいた。“まだあるよ”といわれ、自然王国へ行った。田んぼが綺麗で、一目ぼれ。気に入っちゃった。“すごくすてきな所だな、畑もあるし! あぁここで農業の勉強ができたら!”と思い、その場で人を募集していないかもしれないのに“働かせてください”と宮田さん(事務局)に言った。

宮田さんの方が目を丸くしてびっくりしていた。“まあ、落ち着いて。え〜っと・・・とりあえずお茶でも”といって彼は自然王国の説明をしてくれ、“4月に研修生のT君が辞めるから、受け入れ可能かもしれない”といわれた。2009年5月から研修生として、自然王国に住み込むことになった。


藤本敏夫

T−自然王国はどうでした?
K−入った頃、忙しく、イベント続き。スタッフ石井さん(スタッフ)の調理補助をしたり、てんてこ舞い。農作業も初めてで、鶏糞袋1つ持つのもやっとという感じ。今は腕に力もついてもてるけど(^^)。20リットルの水タンクも動かず、スコップもささらなかった。でも、毎日やっているとできるようになるものですね。両親は、農作業なんて出来るのか?と思っていたので“1年間研修してダメならあきらめる、黙ってみていてください”といった。

自然王国で、当初はプロの農家になりたいと思っていた。でも農村というものがよく見えてきた。専業農家がどれだけ大変か。農薬を使うな、なんていえない。おじいちゃんおばあちゃん達は曲がった腰で草刈りして農作業している。どうして日本の農業は疲弊したのか?日本の農業政策やJAの流通システムなどに疑問を感じた。生産者と流通、消費者との間にズレが生じている。農家は個人販売システムがないために、JAにこんなに安い値段で卸しているの!?とびっくりする値段で農作物を納めている。


★棚田風景

農家の社会的地位が低く見られているから、息子や娘には自分たちのような苦労をさせたくないと思い都会へ送り出す。農家は全滅するわけだ。でも、本当は百姓仕事ほど創造的で生命力あふれる素敵な職業はない。こんなに地球に近く、大地からの霊感をもらえる仕事はない。田んぼ仕事は瞑想にも通じ、健康にも良い。沢山のパワーをもらっている。地球と一体になった感じがする。田植えをしているとき、畑作業をしているとき、ふと手を止めたとき、風がさ〜と通り過ぎていく瞬間に。

T−草取りはどうですか?
K−田んぼの中に生命があふれているし、一粒から何百倍も出来るパワーを感じる。草取り作業も最高。大好き。好きだからこそ専農になれない。この様な作業を日本円を稼ぐためにしたくないし、できないわ。こんなに愛情をかけて育てた“この子たち”を売るなんて私には出来ない。値段をつけたとき、とたんにむなしくなる。お米1俵¥12000といわれると、耳をふさぎたくなる。自然王国で2−3ヶ月たってから、そういう心境になった。


★小鳥

朝日が差し込んで自然に目が覚めたり、小鳥のさえずりが聞こえたり、夜の星空や月光の美しさにため息が出て、蛙の大合唱に聴き入ったり、みかんの花のかぐわしい香りにびっくりしたり、木々が陽射しを浴びてキラキラしている瞬間、うっとりしちゃう!一人でほくそ笑んで“あぁ〜私、幸せ”。って想う。

T−ご両親はどんな風?
K−先週日曜日に来たの。“ゆうちゃん良くやるね、俺たちには無理だよ”って。父は大学で電気工学の講師でこと母はホームヘルパー。やはり住み慣れた都会の便利な生活が良いみたい。家を見に来て以来、すごく心配してしょっちゅう電話やメールが来ます・・・。両親からみれば親不孝な娘ですよね。勤めを辞めて自由気まま!?な生活をしているなんて。でも私がここでの生活をすること自体には全面的に協力してくれています。というか私に言っても無駄だと諦めているのかもしれませんが・・・。何はともあれ、両親にはここまで育ててくれたことをとても感謝しています。これから少しづつでも親孝行をしたいものです。 


★自宅

T−エコビレッジについては?
K−日本の里山エコビレッジ以上の生活だと思っている。里山のいいところは、自然にエコ的な生活をしていること。食べ物自体自分で作っている人が多いし、みんな暮らし方の智恵がある。それは、ここに住む人が何百年もつちかってきたもの。手で何でも作っちゃうおばあちゃんの話は素敵。

ただ、良いところばかりではなく、変化を拒み、違う文化の受け入れに拒否反応を示すこと。里山は調和を大切にするが、それは今まで、その地域に限られた人しかいなかったため、生活の知恵としてそうなったのだろうけれど、今は外からいろんな人が入ってくるので、調和だけではすまない。だからこそお互いの意見を出してもっと良いものができると思うのですが、私は地元の人の気持ちも尊重したい。地元の人がご先祖様から引き継いできた土地や文化。それを守らなくてはという気持ちは良くわかるし大切にしたい。でも息子や娘は引き継がない、引き継げない。口には出さないが息子や娘が引き継いでくれることが一番の望みだろう。でも引き継いでも生活できない、自分のように苦労してほしくない。だから会社勤めを希望する。だからこのままだと、里山文化を引き継ぐ人がいない。移住者が引き継げれば引き継ぎたい。時間はかかるけどね。

エコビレッジはすばらしいが、今の私には必要とは思えない。


★友人と

T−夢は?
K−家のから歩いていけるところに田んぼと畑がある家に住みたい。料理が好きなので、加工品を作って販売したいし、つるかごも作りたい。米粉を使ったパンやお菓子も。今、釜沼地区での炭焼きの弟子入りをしているので、炭焼きや生活の知恵を学びたい。みんなに大山の文化や暮らしを紹介したい。

T−一番苦しかったことは?
K−ほとんど忘れてしまったわ(^^)。

T−一番楽しかった事は?
K−毎日楽しい。でも、今が一番楽しいかな。自分の好きなことをしているからかな。田んぼと畑仕事が出来ている。毎日普通に生活できていて、友達が沢山いて、村のおじいちゃんおばあちゃんとお話も出来るね!


★田んぼ

T−一番腹がたったことは?
K−“あなたはこうだ”と最近決めつけられたこと。私のことを知らないのに。逆切れしたわ。
T―一番大切にしていることは?
K−毎日普通に生活できることに感謝し、両親、友人、今まで出会ったすべての人に感謝すること。今まで、ご縁があって係わってきた人達に助けられて生きてこられたから。

T−一番愛しているものは?
K−この農村の美しさと地球と人と宇宙と、そのすべてかな。あんなに澄んだブルーの美しい星以外に住めません!


★田植準備

T−一番許せないことは?
K−自分と周りを大切にしないこと。感謝の気持ちを持たないことかな。

T−情報化社会についてどう思います?
K−乗っていけないわ。インターネットはすばらしいツールだと思うけど。それってどうしても必要?情報の海に溺れそう。なくてもいいんじゃない?PCはたまに調べ物をするくらい。なるべく使いたくない。でも使い方しだいかな。う〜ん、難しいね。


★田植完了

T−生活費はどうしています?
K−貯蓄とcafé Enのアルバイトと千葉県の獣害調査の仕事をしている。本当は加工食品、民芸品作りなどを生活の糧にしたいわ。自宅でSHOPを開きたいし、サロンを開いてみんながいつでも集まれるところが出来ればいいな。

T−ありがとう。