安房ルネッサンス−ハリントン・エリさんインタビュー

田中正治

ハリントン・エリさんプロフィール
1974年生まれ。アメリカ、カナダで通算9年間を過ごした帰国子女。国際基督教大学高等学校から国際基督教大学人文科学科に進み、哲学と宗教学を専攻。卒業後はミュージカル俳優を志し、イギリスに演劇留学。ロンドンとパリで4年間過ごし、2002年に帰国。帰国後は演劇やライブ活動を続ける傍ら、ナレーション、通訳、翻訳、英会話教師を務める。2005年にクリス・ハリントンと出会い、翌年結婚。2007年からベリーダンスを学ぶ。2009年、クリスと共に千葉県鴨川に移住。


★インタビュー時の写真

T−ずいぶん欧米での生活が長かったんですね。
E−父親が富士通の海外事業本部に勤めていたため、転勤先が海外だったんです。2歳から7歳まではアメリカのカリフォルニア州(L.Aとサンノゼ)、11歳から14歳まではカナダのトロントで過ごしました。大学卒業後は一年間お金を貯めてからイギリスに渡って演劇学校のミュージカルコースでトレーニングを受けました。ロンドンとパリで合計4年間過ごしました。


★3歳。兄と近所の子供たちと。

T−大学時代、なぜ哲学を専攻したのですか?
E−元々、感受性が高く、考えることが好きな性格でした。それに子供時代から「自分とは何か?」「人生とは何か?」と考えさせられる状況がとても多かったのでしょう。

T−というと?
E−親の仕事の都合で国や学校を転々としていたため、常に自分が周りの皆とは異質な存在でした。アメリカで過ごした幼児時代、近所の年上の子供たちには随分かわいがってもらいました。一方、3歳のときにアメリカの保育園で白人の男の子に「君は顔がchubby(小太り)でbabyみたいだ」と意地悪く言われました。白人は子供のときから顔が大人っぽいのに対して、日本人は幼顔なんですよ。「日本人である私のこの顔を差別しているんだ」、と幼心に感じてしまった訳です。
当時は“Chinese Korean Japanese”という人種差別の歌もあって、子供たちが歌いながら指で目をつり目にしたり垂れ目にするんです。兄(6歳―11歳までアメリカにいた)は近所のいじめっ子に“パールハーバーパールハーバー!”と言われたこともあります。


★4歳。かわいがってくれたキャレンの背に乗って。

私の場合、2歳でアメリカに渡ったため、物心ついたのはアメリカでのことです。日本での記憶は一切ありませんでした。アメリカしか知らないのでその時の私にとってはアメリカが「祖国」でした。たくさんの良い思い出もありますが、幼い時から自分はアメリカにいる、黄色人種であるということを感じて育ちました。


★6歳。学校の友達のAmyと。

7歳で日本に帰国しました。日本が本当の「祖国」ですが、私にとっては異国でした。母親は「日本の学校では上履きという靴に履き替えるのよ。ランドセルという学校用のカバンを持っていくのよ。お菓子やガムを持って行って食べちゃダメなのよ。」と事前に日本の小学校の様子やルールについて話してくれました。アメリカの学校との違いにはかなり不安がありました。帰国子女は海外でも差別を受けることはありますが、もっと深刻なのは帰国後のいじめです。帰国子女はただ単に英語(または他の外国語)を話せるだけでなく、日本人の子供とは自己主張の仕方が違ったり、しぐさや物腰が違うことでかなり異質な存在なのです。私は幸いにもいじめられはしませんでした。でもそれは周りの子供たちとの違いをさとられないように、自分を押し殺していたからでしょう。みんなと違うことをしないように、出る杭にならないようにしていました。はじめは友達ができるまで時間がかかり、それまでは本当に孤独でした。でも、子供ってすごい適応能力があってみるみる内に日本の生活や学校に馴染んでいきました。最初は日本語がちょっとあやしかったぐらいでしたが、クラスの中でもトップの成績をとれるまでなりました。日本での生活が楽しくなるにつれ、英語はどんどん忘れていきました。


12歳。土曜日に通っていたトロント補習校(日本人学校)で小学校6年生の卒業式の日。

★13歳。現地校で保護者を招待してのミュージック・ナイト。私は真ん中辺りでバイオリンを弾いている。

11歳で父がカナダに転勤になった時には完全に英語が話せなくなっていました。また一からのやり直しです。カナダでは小学校6年に転入しましたが、授業が全く分からない上に、コミュニケーションがとれないからはじめは友達ができない。アメリカと同様に、カナダも多人種国家なので海外からの転入生はESLという特別なクラスで英語を学ぶようになっていました。日本人は私一人であとは香港系や台湾系の移民。そこへ日本人の女の子が転入してきました。その子は英語が話せないので、私が日本語でいろいろ説明していたら、“日本語って美しいのね”と先生が言いました。日本人としての誇りが芽生えた瞬間でした。


★14歳の誕生日パーティ。左から香港人のキャサリン、韓国人のエスター、私、イラン人のメリアム、妹の裕子。

カナダの中学校では白人は白人同士でつるんでいたので私が最も仲良しだったのはその他の人種。イラン人、韓国人、香港人パキスタン人…色々な国からの友達と過ごしていました。カナダではそういった移民の出身国についての学びもありました。ある日の昼休み、中国系のクラスメイトから第二次大戦中の日本の中国に対する悪行について話されました。“日本人は中国にひどいことをした。あなたの民族は本当に極悪非道で…”。数十分にもわたってその子は民族の恨みを私にぶつけてきました。はじめは、「なんで私がこんな話を聞かされないといけないの?私のせいではないのに!」と腹が立ちました。でも彼女の話を聞くにつれ、怒ってはいけないと思いました。受け止めなければいけないと、感じたんです。自分がこの多人種国家の中学校で日本という国を代表しているという意識がどこかにあったのかもしれません。


★16歳。高校の友人達と。下の列、左から二番目が私。アイデンティティーに悩んでいた頃。女性であることにも抵抗があってまるで少年。

★17歳。中央が私。高校の体育祭にてクラス対抗リレーのメンバーと。当時の私は陸上部で短距離走者。

中学3年生で日本に帰国すると日本社会に違和感を覚えました。特に北米では見られなかった儒教的なところです。たとえば先輩・後輩などに見られる年齢差別。部活なんかでも特に体育会系だと、たった一年だけ年上の先輩がすごく偉そうで、“なんだその様は!”後輩が“先輩、すみませんでした!もっと練習します!”欧米では軍隊にしか見られない現象です。男尊女卑も引っかかりました。なぜ、お茶くみをするのはいつも女子なんだろう?女性が男性に尽くすというのが当たり前になっているのがしっくりきませんでした。


★18歳。高校卒業を控えて、仲良しの友人たちと。隣にいるのがオランダ帰りの華子ちゃん。

あと、気になったのは大人たちがどう見ても幸せそうに見えない。毎日満員電車で通勤しているサラリーマン。どうしてあんな苦痛を耐えて仕事に行かないといけないのだろう?
中学・高校時代、私にとって日本社会は不可解な場所でした。そして多感な時期なので自分のアイデンティティーに関して悩み始めました。私は海外に行っても所詮「外国人」。でも日本にいても「日本人になり切れない」。私は一体何者なんだろう?どこに行っても根無し草で周りに溶け込めない人間になってしまった。一体どこでどうやって生きていけば良いんだろう?
私が通っていた高校には帰国子女が多かったのですが、日本社会に何も疑問を持たずに順応して良い大学、良い就職先のレールに乗りたがっている人が大多数でした。幸いにも私のような変わり者のオランダ帰りの子がいて、私たちは毎日放課後になるとお互いの悩みを語り合いました。



★18歳。大学の前庭で。

大学1年生の夏休み、いよいよ日本社会での生活が窮屈になり、2ヶ月かけて北米数都市を旅しました。その旅で人生を変えるようなことが起こりました。シカゴ美術館に行ったのですが、世界の絵画が大陸ごとに集められていてとても興味深かった。アフリカ、ヨーロッパ、アメリカ、アジア…世界中のアートを見た最後に日本のコーナーに行きました。そしてそこで見た水墨画にすっかり魅せられてしまいました。屏風(びょうぶ)に山と民家と人が描かれていて(今思えば里山風景?)、そのシンプルな美しさに完全に心を奪われたんです。何十分となく見とれていました。その体験によって私の日本に対する意識がガラッと変わりました。こんなに美しい芸術を生み出す自分の国のことをもっと知りたい、そして日本の美しさを世界に知ってもらいたい、と。


★18歳。シカゴの街中で。

ちなみに、後に大学で「日本美術史」という授業をとりました。水墨画は中国から来たのですが、日本の水墨画は中国のとはどこか違う。中国の水墨画はダイナミック。日本の水墨画には“もののあわれ”がある。日本人特有の自然観、宗教観がにじみ出ている。その中に禅を見ました。

帰国したらすぐに大学の専攻を「日本研究」に変えました。学科間専攻制度を利用し、美術、宗教、哲学、歴史学社会学言語学という観点から日本を研究することにしたんです。そして、そこから得た学びを卒業論文「日本人の精神の根源としての母親」に集約しました。なぜ母親というところに至ったかというと、西欧では神と人間との関係が、父と子の関係に置き換えられていて、神への懺悔は、父親への懺悔を意味している。父親への恐れ、それへの罪の意識です。それに対して日本では、母親に対する自発的な罪悪感。全ての罪を許す母を苦しめて申し訳ないという。日本人の子供は、主に母親によって社会生活に適合するように育てられます。だから母親が子供の行動様式、価値観、人格の形成にもっとも大きな影響を及ぼすことになるといえます。


★大学の前庭にて。南アフリカ出身の親友、ウェニーと。

以下、卒業論文「日本人の精神の根源としての母親」からの引用:

「母と子の一体感は日本人同士の一体感の根底をなしている。日本人の母親は子供を自分の一部として育て、また、そのために多くの犠牲を払う。親密な母子関係の中で育まれた一体感は子供が大人になっても、あらゆる関係の中で再現される。たとえば集団主義が成り立つのも、仲間同士の一体感が、個人のアイデンティティーよりも重視されるからである。」

「母子関係では、快・不快の原理がそれ以外の価値をすべて締め出してしまうため、普遍的な善悪の判断力が一番育ちにくい。日本人の特質として絶対的な善悪の価値基準がなく、物事が起きた状況やその対象により良し悪しが判断されるのも、その結果ということができる。日本人の心や考えの根底に母がいる限り、日本文化は西欧のそれとは違うものであり続けるだろう。」


★19歳。日本をもっと知るために京都と奈良を訪れた。写真は京都で。

T―日本の文化と西欧の文化の良いところと、悪いところはどんなところでしょう?
E−大きな違いは、日本ではグループ単位での行動を好み、和を重んじる。西欧は個人主義
グループ単位の良いところは、一人だけ良い思いをせず、みんなで全てを共有し、弱い人も参加して仲間に入れてもらえるところ。
悪いところは、一人一人の特徴が殺されていき、オリジナリティーが育ちにくく、出る杭は打たれるところ。相手に合わせなければならないのは面倒です。

でも、これからは変わらざるを得ないでしょう。良いところはもっと良くし、悪いところは他国の価値観の良さを取り入れればよい。両者の共有できる良いところ取りをするんです。各個人が世界のいろんな価値観に触れる機会が多くなり、新しい価値観を築きあげる時代になってきているのだから。新しい価値観は、グループ意識が持っている良さを中心に、個人の特徴を尊重する。安房のコミュニティーではそれが出来ていると思います。好きな時に好きなグループに関わり、楽しく過ごすことができます。


★20歳。初めてのミュージカル出演。「マイ・フェア・レディー」のイライザ役を演じる。隣は仲良しの和恵ちゃん。

T−欧米文化の良いところと悪いところは?
E−個人主義の良いところは、自分のペースでやりたいようにやって、人に左右されないところ。教育がそうなっています。子供の頃から、「あなたは何がいいの?どちらが好きなの?」って聞かれます。小学校から自分の考えを語るトレーニングをします。才能やオリジナリティーを伸ばす教育です。周りと一緒でない方が良いんです。個人主義の悪いところは、一人勝ちし、自分だけ良ければいいってところ。だからグループの一員としての感覚が弱くなります。

日本と西欧の文化のもうひとつの大きな違いは全てをjudge(白黒の判断)する二元論的な思考の欧米人に対して、日本人は三元論だと思います。つまり白でも黒でもない灰色の部分が尊重されます。灰色にも限りなく白に近いトーンから黒みがかったものまで色々なトーンがあるので、もしかしたら多元論かもしれませんね。その時その場の状況や人々によって良しとされるものの判断がなされていくのです。
いずれにせよ意識の進化は、日本人の方が早いと思います。何故なら欧米思考では白黒の判断ができない人には存在価値を認めません。自分の考えとは反する意見は全面否定して自分の考えの正当性を主張します。私は世界のほとんどのことがYes, Noで割り切れないと思っています。全てを二つに分け、そのいずれかのみを肯定することで自己限定してしまいます。


★21歳。初めて訪れたロンドンの街角で。右は妹。

T−コミュニケーションについて、まずYesとNoについてどう思いますか?
E−No はYesと同じように重要です。数年前、ある演劇関連の通訳の仕事のオファーが来たんですが、ギャラがとても良かった。でもその演劇は私にとっての芸術とは全く違うものでした。なのでNoと言いました。どんなに良いギャラをもらったとしても、自分の信念に反する仕事はするべきではないと思ったんです。数ヵ月後、その仕事でもらうはずだったギャラと同額の仕事のオファーが来ました。その時、自分の選択は間違っていなかったと確信しました。本当はやりたくないのにYesというと、そういうサイクルを自分で作ってしまいます。Noといえば、そういう仕事は来ない。そしてはっきり言ってもらったほうが相手もすっきりします。人生は常に50/50。そういうスタンスでやっていけば自分らしさを築いていける。相手の希望に沿うのではなく、自分が自分の人生の物語の主人公になるんです。だからNoという状況は“私はこういう人間だ”ということを確認して伝えるのにとても良い機会になります。


★22歳。大学の卒業式。右が私。

T−日本人は共通点を軸にコミュニケーションしますが?
E−そうですね。欧米型コミュニケーションは論理的主張なのに対し、日本人のコミュニケーションは感覚的表現。欧米人はゲームのように主張を闘わせることを楽しむことができますが、考え方が違ってもそれで仲が悪くはなりません。けれども日本人は心と頭を切り離すことができない。自分の意見を否定されると、人格まで否定されたかのような気分になってしまう。だからまずは共通点から出発する必要があるのかもしれません。
クリスが初めて日本で会社勤めをしていた頃、同僚の意見に対して「そうじゃなくて、○○なんです。」と言うのが口癖だったようです。つまり、文頭でまず相手の意見を否定してから自分の主張を言う。完全に論理型のコミュニケーション方法です。当時、クリスが英会話を教えていた生徒さんがクリスにつけたあだ名が「そうじゃなくてクリス」。その生徒さんにクリスはいつも日本の会社の愚痴をこぼしていました。ある日、クリスがもう会社を辞めたいと伝えると、「そうか。辞めたければ辞めればいいと思うけど、日本ではクリスのようなコミュニケーションのとり方ではダメなんだよ。相手の言っていることに納得がいかなくても、まずは、『はい、なるほど。』と聞くことが大事なんだよ。それから『○○さんの仰ることは分かりますが、○○はどうでしょう?』ここで初めて話し合いが始まるんだよ。」クリスは自分のアプローチが日本ではうまくうかないことを知り、それ以降は日本的なコミュニケーション方法を実践しました。すると、確かに物事が円滑に進み、「そうじゃなくてクリス」の汚名を返上できた訳です。

私は日本にいる以上、「郷に入れば郷に従え」で、日本型コミュニケーションをとるべきだと思っています。その一方、自分が自分であることに遠慮はいらないと思っています。相手に無理をしてあわせる必要はないんです。自分を大切にする人は回りの人も大切にできます。私は、相違点に関しては悪いことだとは思っていないので、というより、誰に対しても50%は同意できるけど、50%は同意できないというのが大前提だと思っています。なので何か相違点があれば、“ああ、そうなんだ。私はこうかな。面白いね。”という感じかな。もしどうしても自分が正しいと思う場合は、相手がある日、気づくだろう、と手放します。その気づきのための種をまくことは出来る。その場で説得しようとは思いません。


★イギリスの演劇学校時代。ショーの後、ピアノを囲んで。

T−欧米でのフェミニズムの体験は?
E−フェミニズムが起こった結果として、女性が自由に振舞うことができる社会になっていることを実感しました。一方で欧米のフェミニズムが目指すものは、男女差が全くない社会。フェミニズムを生んだイギリスでは女性達はエネルギーで言えば男そのものでした。パブでパイントジョッキを片手に、雄叫び声をあげながらサッカー観戦をする様子はまるで男そのもの。何かを履き違えているんじゃないかなと思いました。男性エネルギーの強い女が生まれていき、女性的な魅力がなくなってしまっているんです。女性が本来持っている“やわらかさ”をなくし、男性と肩を並べて闘って自分の運命を勝ち取ることが良しとされるようになった。でも女性の幸せは、男性とあらゆる面で同等になることではないと思います。肉体的、生理的、情緒的違いがあるのだから。


★ロンドンでのショーに中国人のキャラクターの役で出演。

フェミニズムという現象を理解するためにはまず現代文明が男性原理に基づいていることを知る必要があります。有史以前の文明では発掘される壁画、女性像などにより、女性性が崇められていたことが分かります。この時代は平和で自然との調和を大切にしていて、人を殺すための武器などは発掘されません。男性原理社会の起源は紀元前7000年〜9000年前、現在のイラク辺りで始まった支配的農業が発端だと言われています。農業の生産性を高めるため、土地争いが起き、勝者が弱者を支配する階級社会ができあがっていったのです。階級社会の上に立つのは男性です。なぜなら闘いがあれば人や部族を殺し、土地を奪うのは力の強い男性だから。女性は子供を育てるために家にいました。その結果、男性の方が強くて優れているという観念が作られていきました。そして女性は男性の所有物となり、権利や自由をなくします。英語の“history(歴史)”ということばはよくよく見ると、“his story”ですよね。“彼の物語”なのです。つまり男が築いてきた歴史なのです。ヨーロッパではローマカトリック教会がそれまでにあった土着的な女神信仰を徹底的に弾圧しました。そしてそれまで部族の精神性の中心を担っていた女性たちが標的とされていったのです。中世ヨーロッパで起きた魔女狩りは罪のない女性たちの大量虐殺です。女性であることだけで社会に脅威を与えるという病的な信念の表れです。このベースにはキリスト教が人々に刷り込んだ観念が大きく関わっていると思います。旧約聖書のアダムとエバの話が良い例です。エバは蛇にそそのかれて、神様から食べることを禁じられていた善悪の知識の木の実を食べてしまいます。さらにエバはアダムにもその実を勧めます。その結果、二人は楽園から追放され、エバは出産の苦しみと男への従属という罰を与えられます。
この話のメッセージはつまり、女性は「悪」に染まりやすいので男性に従うべきだ、ということなのです。そんな話が人類の起源だと信じている西欧社会ですからフェミニズムは当然起きる必要があったと思います。でも残念ながら、その結果が女性性の否定です。女性の身体をもっているのに思考や行動は男性的。男性社会で男性と同等に扱われたいと思うのであれば、そうならざるを得なかったのでしょう。今先進国では、女性器に病いをもつ女性がとても増えています。男女の肉体的、生理的、情緒的な違いを無視したつけです。身体は自然そのもの。精神や思考が病んだときには必ずサインを出してくれます。この場合は、「自分の中の女性性をもっと大事にしなさい!」ということなのです。


★イギリス時代。ディナーショーで共演した友人達と。

T−日本のフェミニズムについては?
E−日本の場合、弥生時代に大陸から稲作の技術が導入されました。その後、支配的農業、土地争い、階級社会という世界の他の地域と同じ現象が起きます。中世の武士社会で男尊女卑が広がり、儒教の導入でそれが定着したと言われていますが魔女狩りのような現象は起きませんでした。元来、西欧社会のような「女性=悪」という観念はないし、家族の精神的なよりどころが母親であっためだと思います。黒船来航以降の西欧化、そして第二次大戦後の「欧米に追いつけ追い越せ」の風潮の中、あらゆる側面で西欧方式を取り入れます。そして表面的な意味での日本人の西欧化が進みます。フェミニズムも日本にやってきましたが、西欧のそれとはどこか違ったものになっていると言われています。その理由はやはり母なるものへの思慕が根底にあると思います。


★神谷町のアメリカンクラブにて。フェミニズム運動の象徴、イプセンの戯曲「人形の家」でノラ役を演じる。

21世紀に入り、人類は男性原理に偏った社会や文明が持続不可能だということを実感し始めています。なぜならそこから生産性や効率性が重要視される資本主義や消費社会が生まれ、自然を支配して搾取し続けることが良しとされているからです。人類の歴史を振り返ってみるとローマ帝国以来、大英帝国も、アメリカ帝国も、西欧文明は他国に侵入して植民地化し、人々を弾圧、虐殺し、資源を搾取すると同時に自分の文化を押し付けるというパターンを繰り返しています。去年、「アバター」という映画が大ヒットしましたが、あの映画のメッセージは今の男性原理の文明への警告です。このままでいくと地球はおろか、地球外の惑星にも迷惑をかけてしまうよ、という。

平和で循環的な社会になったとき、フェミニズムは不要になります。生命という神秘を生み出す女性に対する尊厳が社会に生まれるからです。女性性を崇めていた縄文時代のように。


★青山にてイランのスーフィ・バンドをバックにダンサーとして出演。

T−縄文的なものへの移行はどのように?
E−縄文的なものに移行するには、今の私たちの文明が男性原理に偏りすぎていることを知り、女性的な価値観を取り戻すことです。
よくこれからは「女性の時代」だと言われます。これは女性が男性に取って代わって政治・経済を操るということではなく、全ての人の中にある女性性を復活させ時代なのだと私は解釈しています。つまり、「女性性の時代」なんだと思います。男性の中にも女性性があります。男性性、女性性とは何かと言うと、タオイスト(道教)に言わせれば、男性性の特徴は陽性で行動的、競争を好み、勝ち取っていく。論理・思考型、左脳的で直線的。女性は陰性で、受容的、調和を好み、委ねることができる。感覚・直感型、右脳的で曲線的。現在の男性原理が中心の社会では、男性性の特徴に価値がおかれています。より“生産的”だからです。私たちにはそういう価値観が植えつけられています。
でも、自然界では常に動的、静的という二つの対極にあるエネルギーが循環しながら完璧なバランスをとっています。例えば四季というひとつのサイクルがあります。春、生命が芽吹き、夏、生命エネルギーはピークに達し、秋、実となり、冬、種が土の中で栄養を蓄える。冬はまるで何も起きていないように感じられるかもしれないけど、実は次の芽吹きに向けて大切な生命活動をしているのです。なので人間もそうあるべきなんです。現代社会では人々は常に行動的で何かを生み出さないといけないという状況にいるために、どんどん不自然な生き方になっていっているんです。


★下北沢のトルコレストランでのベリーダンス・ショーで。

男性も女性も、自分の中にある二つの対極的な要素のバランスを取り戻す必要があります。
まずは女性が変化していくことが大事だと思います。女性性が無視されていることでより苦しんでいるのが女性だからです。そして、より感覚的な女性の方が意識の変化が早いと思います。「本当の私の幸せって何?」と問うことが大事です。
近年、ベリーダンスが女性の中でブームになっています。習いたいダンス部門ではフラダンスと並んで1位。女性たちの目覚めの現われだと思います。古代から中東に伝わるベリーダンスは女性の美しさ、強さ、神秘性を最大限に表現できる踊りです。素敵なベリーダンサーを見ると、男性は“女性には適わないな…”って感じになる。女性はとてもパワフルなんです。
女性が自分のもつ本来の能力、美しさ、強さを実感して女性としての幸せを得たとき、男性も女性に対する考え方が変わります。「女性ってすごいなー」って。そしてこれまではどちらかというと男性の生き方を女性がサポートしてきましたが、これからは男女がお互いをサポートし合える関係性になっていくでしょう。

また、次世代の人材を育成することにもっと価値をおく社会へ移行することも大切です。子育て、保育、幼稚園・小学校の先生などの仕事が尊重されるようになります。次世代を担う子供達を社会がハッピーにする、それが大人の責任です。
フェミニズム(女性主義)のおかげで女性はある程度の社会的地位を得られました。これからは本来の女性の力や美しさを引き出すフェミニニティー(女性性)の復活が大切です。虐げられた女性性の復活の時代が来たのです。

そして新しい価値観をもつ社会への移行は闘いで勝ち取るのではなく、“静かなる革命”でなければいけないと思います。“問題を解決するためには、その問題を引き起こしたマインドセットのままではできない。”とアインシュタインは言いました。つまり資本主義社会、大量生産大量消費社会という問題を持った現代社会を変えるには、この社会が生み出した「闘う」という観念によってではなく、異なった観念を創ることから始まる。まず、自分から変わること。そして自分の家族、隣の家族たちへ、自給組合からコミュニティーへ。そこから変えていくんです。焦ると男性的社会になっていく。闘いになってしまう。トータルに流れに従って、自分の役割を果たしていけばいいのです。そして、さらに言ってしまえば“静かなる革命”は、外の世界に起きている現象に対して働きかけるのではなく、まずは一人ひとりが自分の内面を見つめ直すところから始まると思います。どうしても闘うのが好きなら“内なる闘い”によって、自分の中の不要な価値観や観念をやっつけてからにしてください(^^)


★葉山の海の家でのベリーダンス・ショーで。

T−神・人間・自然についてどう考えます?
E−宗教に関しては多様な人種が住むカナダにいる時から考えさせられることが多かったです。高校がキリスト教系だから「キリスト教概論」という授業があったりして、毎回授業が楽しかった。原始キリスト教ではイエスが「愛」を説いています。聖書の記述は必ずしも正確ではなく、後世の人々が政治的思惑によってだいぶ編纂されています。私はイエスが説いた「愛」の部分にとても共感できたので、当時はキリスト教に対してポジティブな気持ちがありました。期末試験の問題はただ一つ。「神の存在を信じますか?」という問いに対してエッセイを書くなど、とてもやりがいがありました。もちろん神の存在を全面否定した生徒も、それで落第になるということはありませんでしたよ^^。
高校時代には、日本の宗教感覚のなさが“だらしない国だなあ”と思っていました。というのも、平均的日本人は神社に初詣に行き、結婚式は教会で挙げて、葬式やお墓は仏教式。日本人は一体何を精神性の「軸」として生きているんだろう?と。だから余計に「軸」があるキリスト教や西洋の思想を肯定的に捉え、大学では西洋哲学と宗教を専攻することにしました。

でも例によってシカゴ美術館での体験以来私は日本文化に傾倒し始めます。そして日本の宗教観について学び始めました。かつて日本の“だらしない国だなあ”と思っていた部分がまさに日本の素晴らしさだと思うようになったのです。つまり、日本の宗教観の素晴らしさは、宗教的観念で固められていないところ。ドグマに縛られていないのです。自分の宗教の観念を掲げて、相手の宗教を否定する必要がない。だから、宗教戦争なんて起きようがない。とにかく日本人は「神」というパッケージにこだわらない。八百万の神の国だから。これは日本が誇れることだと思います。


★大崎のカフェでのイベントで「風」をテーマに踊る。

小説「沈黙」の中で遠藤周作はこう書いています。「デウス(イエス)と大日と混合した日本人はその時から我々の神を彼等流に屈折させ変化させ、そして別のものをつくりあげはじめたのだ。」「この国は沼地だ。……どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐りはじめる。葉が黄ばみ枯れていく。我々はこの沼地に基督教という苗を植えてしまった」
遠藤周作ご本人はキリスト教徒で、こういった日本人の精神的土壌を嘆いていました。でも私は何故、日本がこのような「沼」なのだろう?と気になったのです。そして日本人の精神性の根底には縄文時代から始まったといわれる古神道が根強く残っていることに気付きました。古神道と外来の宗教の影響を受けた後の現在の神道は違うものだと言われていますが、現在の神道の中にも原始神道の教えを垣間見ることができます。神道はアミニズムの延長で、いわゆる教典、教義がありません。あるのは古事記日本書紀などに綴られている神話やそれに基づいた儀式です。儀式で言えば海や川で心身の穢れを流して清める禊(みそぎ)がよく知られていますが、そこから“水に流す”という感覚が生まれていると思います。

黒船来航以降、国家神道の元で軍国主義に走った日本ですが、原爆を投下されて一気に改心したといわれています。“すいません、悪うございました”と。民族としてはちょっと特殊で、過去の忌々しい出来事に執着しないのです。だから自分の非を追求しないし、相手の非も追求しない。水に流すことが出来るんです。それが戦争責任に関する感覚の違いを生み、世界から批判される所以だと思います。

日本は敗戦後、奇跡的な経済成長を果たします。西欧の文化や技術を何の抵抗もなく巧みに取り入れ、経済大国になり、アジアで唯一の先進国入りを果たしました。特定の文化や技術はその背景にある思想と結びついています。西欧に滅ぼされた他の国々は自分の国の思想や宗教を守るために西欧の文化・技術を避けました。ところが日本人は西欧の文化や技術を取り入れることによってアイデンティティーを脅かされることはなかったんです。絶対的な観念がないから、他国の文化からおいしいとこ取りができるんです。でも他国の思想や宗教が根付くかというと、そうはいかない。日本人の「沼」と呼ばれる精神土壌は、ある意味最強だと思います。


伊勢神宮神嘗祭に参加。五十鈴川にてベリーダンスの師匠、ミシャールと。

2008年に神道の総本山、伊勢神宮に行きました。神道の素晴らしいところは山、木、石、水などの自然そのものに神が宿っているということを暗に示していることです。拝殿には鏡が置いてあります。つまり、神様を拝みに来た人は偶像ではなく、鏡を拝むことになる。「あなたの中に神がいることを知りなさい」というわけです。そもそも日本語の「かがみ」ということばの中にコード(暗号)が隠されているのですが、伊勢で聞いた話を元に詩を書いてみました。

「かがみ」

かがみは私を映す
「か」「が」「み」は私に教えてくれる
私は「か」と「み」の間に「が(我)」をもつ存在だと
そして「が(我)」をなくしたとき、私は自分の中の「かみ(神)」とつながるということ
かがみの中に自分の真の姿が見えるとき
自分が本当は神だということを知る

「生きとし生けるもの全ての中に神がいる」というのはインド哲学にも通じる観念ですが、偶像崇拝を促す宗教を超えた世界観だと思います。神とは人を弱い立場に置いてコントロールするのではなく、逆に人をエンパワーし、強くするものだと思います。そうでない神(宗教)は人を支配するための政治的ツールです。
先ほどのアダムとエバの話でも分かるとおり、キリスト教の教えでは人はそもそも「罪な存在」なのでマイナスからスタートしています。だからどうしたら神に喜ばれるかを常に考えて行動しなくてはならいない。そして悪いことをしてしまったら教会に行って神に赦しを請う必要があります。でも神道では“あなたの中に神がいる”ですからね。対極ですよ。日本人のこうした観念はむしろ世界遺産と考え、無形文化財として輸出すればいいと思う。^^(笑)
因みに神社へお参りする行為は何を意味しているかというと、鳥居(子宮口)をくぐって参道(産道)を進み、お宮(子宮)へお参りして再び参道を通って鳥居をくぐって出てくる。日本人にとって信仰とは母の胎内に戻り、生まれ直すためだと解釈できます。ここでもやはり「母」というキーワードが出てくるのが興味深いです。そして母の胎内とは生命の根源であり、つまり神そのものなのだと思います。だからお宮(子宮)には鏡が置いてある。



★大崎にてクリスとのユニット、Ritualの演奏。「大地」というテーマでクリスはインドの笛、私は詩の朗読と歌を披露。

私が最終的に至ったのは、神なるものや自然の神秘を前にしても人間の思考ごときでは到底解明できるものではないのだということです。どんなに言葉を羅列して論理を並べても、どんなに科学が進歩しても、神や自然の力には到底適わない。また、西洋哲学は普遍の真理を追い求めますが、空回りしているだけに思えます。そもそも普遍の真理なんてものはあるのでしょうか?またあったとしても、私達の三次元的制限のある思考や言語で表現できるのでしょうか?だから人は全てを思考や論理で解明しようとせず、自分よりも大いなる力、神や自然に委ねれば良いのだと思います。
それと同時に私達一人ひとりの中に神がいるのです。一人ひとりがとてつもない力を秘めています。さっき言ったことと矛盾しているように聞こえるかもしれません。でも私はこの世の真理というものは全てがパラドックス、逆説なんだと思っています。常に対極にあるものどうしが同時に真理なのです。逆に言ってしまえば、逆説的に現せないものは真理とはいえないのかもしれません。
神と人間の逆説をこういう風に表現できます。「自分を自分より大いなる存在である神に委ねたとき、初めて自分の中にある神なる部分に触れることができる。」
日本、そしてアジアの思想にはこの感覚が根底にあると思います。


★青山で開催されたショーでインドの踊りを踊る。

先月、古典インド舞踊の踊り手から興味深い話を聞きました。
「そもそも人は何故踊るのでしょうか?インド思想では、人間は神聖なスピリット(魂)から切り離された個別の魂とされています。個別の魂である以上、「神」とはあまりにも壮大な概念なので、実感することが難しい。そこで「形のないもの」を「形にしたい」という欲求が生まれます。神聖なるものを視覚化するにより、そこに近づき、触れたいという欲求が満たされるのです。つまり音楽、踊り、絵画、彫刻、詩、などの芸術は神聖なるものをこの次元に再現したいという欲求の表れであり、神を表現する手段ということになります。神聖なるものを降ろして表現するためにはそれにふさわしいクリア(清らか)な状態でないといけません。クリアな状態にある踊り手は一種の瞑想状態に入り、神を体現することで別の次元につながれます。そして大きな癒やしとパワーを得られる。また踊り手を観るものにも同じことが起きます。そこで集合体としての連帯感、一体感が生まれて、さらにエネルギーの循環が起きます。」
芸術が神に近づく最も有効な方法なのかもしれません。


★大崎でのショーで「火」をテーマに踊る。

以下、卒業論文「日本人の精神の根源としての母親」からの引用:

「西欧人は自分の文化に誇りを持つあまり、日本や東洋の文化を否定することを避けるべきである。逆に日本人は独自の文化に自信を持つべきであり、国際社会でなぜ日本人が“ユニーク”と捉えられるのかを気づかない限り、理解されることは不可能である。日本は確かに国際社会に適応するために、変化し続けているが、必ずしも理想的な方向に進んでいるわけではない。」

西欧文化を肯定することで、その長い歴史の間に培われた独自の文化が否定されているからである。しかし日本人の西欧化にも限界がある。なぜなら今でも伝統的な価値観や考え方が日本人の中に残っているからである。いい意味での変化は、自分たちの文化を肯定しつつも西欧から補うべき要素を学ぶことから始まるのではないだろうか。」


★大崎でのショーで「女神」をテーマに踊る。

日本人は精神性の分野で世界的リーダーになる資質を持っていると思います。例えば、論理的観念を持っている人が日本にやって来ると、日本社会がどう成り立っているのか分からなくなって自分の価値観が根底から揺らいでしまう。その結果、ひたすら“日本はおかしい”と否定して自己の正当性を図るか、逆に日本人の価値観をもっと学ぼうと思うか、どちらかのタイプに分かれます。“沼”の性質をもつ日本人の精神性に触れたときに、自分の価値観が根底から揺らいで立場をなくし、信じるものがなくなってしまうんですね。
それとは対照的に、日本人は観念的なポリシーがないので、論理的なものが入ってきても、“私たちも考えなければならないね”とそれを受け入れてしまう。受け皿がものすごく広くて強い。

そして日本は“人”がすばらしいと思います。平和で調和を大切にし、相手に気遣いができる。よく「平和ボケ」と国内外で批判されますが、おかしいのは日本人ではなくて平和でない国々なのです。日本人の平和ボケは財産です。世界遺産と捉え、日本国宝として温存すべきなんです^^。
ところで「どんな苗も沼地に植えられれば、根が腐りはじめる。」というのは正確ではないんですよ。日本人が元来主食としている米は水田という“沼”で育ちます。そして、蓮は泥沼に根を張り、美しい花を咲かせます。そのために仏教では蓮の花は「悟り」の象徴とされています。
サイクルで言うと西欧文明は冬の時期です。これからはアジアの時代です。もう西洋崇拝は終わりにしないといけませんね。日本の良いところを再認識するべきです。それは日本だけでなく、世界にとっての財産となるのだから。日本は“沼”から美しい「悟り」の花を咲かせることでしょう。


★新宿のバーでクリスがサックスを演奏したときの写真。

T−クリスとの出会いは?
E−クリスとの出会いは私の人生を決定的に変えました。クリスのおかげで自分の中の痛みを癒し、より自分らしく生きていけるようになりました。彼は私の魂の双子(ソウルメイト)で鏡のような存在です。私の良いところも悪いところも映し出してくれる。クリスと出会ってからはものすごいスピードで魂の成長が進んでいます。2005年に面白い瞑想体験をしたのでそのことを綴った日記を紹介します。

「ヨガをやった後に静かに横になっていました。するとイメージが見えてきました。自分が横になったままの状態で空に浮かぶ光の物体に向かってゆっくり吸い込まれていく。下を見ると自分の体はまだ地面に横たわっているので、「ああ、私は死んだんだ」と分かったのですが、気持ちはとても落ち着いていて何の抵抗もなく光の物体に吸い込まれました。光の物体の中には人間のように姿形をもたない、光の存在がいて、声が聞こえてきました。
「よく頑張ったね。地球を去る前に願いごとを一つ叶えてあげよう。」
「私は自分が地球に生まれてきた意味を理解したと思うのですが、 確認したいんです。地球を一周してもいいですか?」
「いいよ。」光の物体は一瞬の内に地球を一周し、この世界の始まりから終わりまでの全てが分かりました。
「ああ、やっぱり自分は全てを学んだんだ。」と思いました。すごく満ち足りた気分でした。

そして最後に残ったのは私の魂の片割れに対する想いでした。私はこの人生で多くのことを学んだけれど、それができたのもあの魂が無償の愛を与えてくれたから。クリスに対して痛いほどの感謝の気持ちと、また会って恩返しをしたいという願いでいっぱいになりました。 私の魂は愛で震えました。光の存在はそんな私を暖かい光で見守ってくれました。

この体験で分かったことは、私達は愛を体験するためにこの世に生まれてきている、ということ。愛の体験を妨げるのは過去に受けた傷だったり、恐れから発する欲望だったり、喜びとは無関係の信念だったりします。それらを乗り越えるのを助けてくれるのがソウルメイトや、その他の大事な学びの機会を与えてくれる魂たちなのでしょう。そして最終的には「愛」しかないんだな、ということが実感できました。他のものは全て「幻想」です。
「愛」のみがリアルで「愛」が全てです。」


★東京の街中で。

T−愛とは?別の言葉では?
E−「愛」とは「神」です。
ビクトル・ユーゴも小説「レ・ミゼラブル」の中で書いています。
「人を愛するということは神の顔を見ること」


★鴨川の釜沼北集落にて田植えの日。

T−自分を世界市民だと思っていますか?
E−世界市民というよりも、宇宙市民だと思っています^^。思春期の頃、自分のアイデンティティーについて悩んでいましたが、クリスが私の故郷です。そして私達の所属は「地球」、部署は「日本」で、担当は「安房」かな(^^)。鴨川で起き始めているコミュニティー的な生き方は世界に影響すると思います。鴨川に移住してくる若い人達は、現代文明から脱却しようとしている。半農半Xという新しい生き方をして。そしてアーティストがとても多い。生き方そのものがアートしているんです。そんな生き方をいいなと思って見ている人たちもたくさんいます。現代文明や都会というマトリックスから抜ける人が増えているのは、抜け出た人達が楽しそうな生活をしているから。私たちはそういう影響力のある立場にいる。日本が変われば世界が変わり、宇宙に浮かぶこの星が良いエネルギーを発する。そうすれば「アバター」のようなことは起き得ないのです。


★今年の4月にオープンしたawanovaの前での集合写真。

T−鴨川での夢は?
E−地域の人達がそれぞれの役割を担いつつ、人類の知恵と技術を集結した新しい価値観をもとに里山文化・循環型集落を復活させること。それが銀河縄文時代の始まりです。鴨川での里山文化・循環型集落が日本の他の地域にとってのひとつの良いモデルになれば良いと思います。そして国内に留まらず、海外にも良い影響を与えていければ良いなと思っています。

ハリントン・エリのブログ : http://elli.harrington.jp/