テトラスクロール主催・真魚長明さん訪問記

11月だというのに、とっても日焼けしていて夏の雰囲気がする。
真魚さんはサーファーなのだ。館山恒例のour awa marketで、
楽しそうにコーディネイトしているのが印象的だったので、
一度お会いして、ゆっくりお話したかった。

真魚さんは40歳代前半で、鴨川市江見在住。東京から移住して15年になるそうだ


T− 鴨川に移住される前は、どんな仕事をされていたんですか?



M−広告アートディレクションです。アートや音楽の仕事です。
  バブルは崩壊していたのですが、その実感はなかったんです。
  環境や健康にシフトする企業と広告代理店の間に入って、イルカとかクジラとか、ガイアや気など、
  意識の時代への変化を企業から発信するためのお手伝いをしていました。


  高校時代には世界が知りたくって、アートや音楽やファッションに興味があって・・・。
  20歳過ぎには、ロックンロールやパンクロックの思想的背景に共感したり、
  ヨーゼフ・ボイスのアートと社会を関連づける思想に衝撃を受けたりしました。
  アートディレクションの仕事はその延長線上にあったともいえるのですが、
  何か後ろめたさを感じていました。
  というのは、企業は”社会や地球にいいこと”をうたいつつ大もうけをしているのです。
  自分は結局、アートで”社会や地球にいいこと”をメッセージしながら、
  商品を”買え買え”という人間に成り下がり、大金を得ていたのです。


  

  1994年、オームの事件を境に、社会の開きかけたドアーがもろすごい力で閉じられていきました。
  それから12年間、閉じられた世界の中で、自分の暮らしの完成度をあげている
  同世代の人たちは多くいました。家をインテリア風に改造したり、マクロビオティックとか
  自我に向かった力を研ぎ澄ましたり・・・・・・・・・・・・・・・。




  2006年、世界が緩み始めたと感じました。
  11月「テトラスクロール」を設立したのです。
  オープンのとき、”20歳代の人たちが右往左往しているじゃん。
  地図は持っているが、どこへ行ったらいいのかわからないじゃん”と
  北山耕平氏(元「宝島」編集長)と言われたのです。衝撃でした。
  12年間自分は沈黙していたと思ったのです。
 

  1960年世代の人たちは、その作業を怠っていたのではないでしょうか。



T−怠っていたというより、出来なかったかと思います。
  1960年代、武力による国家権力を奪いそのパワーで社会の根本的変革(革命)を
  目指していた革命党派は、1970年以降、警察や自衛隊と戦える軍事組織の建設に
  全力投球し、1972年連合赤軍浅間山荘事件で挫折したのですが、
  1968年から1970年、社会を巻き込んだ若者の反乱は、”ビッグバン”のようなものだったと思うのです。
  この”ビッグバン”は、社会の中にまかれていた様々な種子を、社会のなかで一気に発芽させ、
  1970年以降花咲かせたように思えるのです。フェミニズム、コンミューン運動、
  有機農業運動、カウンターカルチャー運動、新しい協同組合運動、エコロジー運動・・・・・・・・・・。


  これらの特徴は、60年代の運動と対比すると、”今ここから革命を”ということが出来るかと思います。
  ”国家権力奪取の後の革命”でなく、”今ここから革命を”なのです。
  1970年以降の成熟した資本制社会自身が、これらの運動を生み出す土壌を育てたように思えます。
  従って、”国家権力奪取の後の革命”に固執する限り、60年代革命党派には、
  70年以降社会の全面に登場してきたこれら「新しい社会運動」を理解できなかったとしても当然です。


  しかし、1968年ー70年の全共闘運動は、実は、”今ここから革命を”をすでに実行していたのです。
  既成の価値観が崩壊する中で、大学解体ー教育の価値観とシステムの革命を要求し自ら大学解体を実行したのです。
  その後の「新しい社会運動」の直接の出発点を体現したと言ってもいいでしょう。
  従って、あれから40年たつ現在でも、社会運動のコーディネイターとして
  活躍している”元全共闘”を様々な場面で目撃することができます。


  僕自身(田中)は、革命党派の価値観の中で活動していましたが、
  東欧社会主義崩壊後の1990年、ドイツで「アウトノミア(自律)」運動(アントニオ・ネグリを思想的リーダーとする)
  と出会い、そのオルタナティブな実践現場を目撃する中で、”今ここから革命を”に転換したのです。
  一方で資本と国家に対抗しながら、他方で、今ここから”オルタナティブ”な社会・経済的なシステムを
  作り出して行く方向への転換です。


T−グローバリゼーションに関してどうお考えですか?



M−企業の支配は国家よりも大きな力です。
  例えば冷蔵庫の中を見回せば、トマトケチャップ、コカコーラ、チーズ・・・・・・・。
  大企業による均一な食品があふれていて、生活の中で、企業による捕らわれ度が大きい。
  だから自給率を上げたいのです。これしか買えない社会、選択の自由のない社会、それは奴隷状態です。
  奴隷の教育が行われているのです。
  だから、僕は反グローバリゼーションです。
  

  嘘の幸せにNO!都市の生活は捕らわれの生活です。
  だから、脱都会。自分の力でやっていきたい。
  管理され、ああしなさい、こうしなさいと決められるのがいや。
  何が敵か、自分の中に敵はいないのか?
  社会運動の歴史を見ることが必要です。
  失敗の教訓から学ぶ必要があります。
  地球を被っているグレーな敵とはなんでしょうか?
  

  アートや音楽が、世界の見方を変えることがありえます。
  自分達が力のあるメディアを持つことによって、”しみ出るような外部注入”が可能だと思っています。
  やっていることの意味づけが大切です。


  例えば玄米菜食ですが、僕は反社会的だからやるのです。
  ちゃんと作って食べることこそ反社会的なんです。
  ”こうやってやるとすてきでしょ”、と下の世代(30、20、10歳代)に伝えたい。
  下の世代には「生の感覚」がないのです。リストカットが「生」の表現なんです。

  
  年間3万人が自殺しています。こんな社会を作ってくれといった覚えはない。
  今、この国は”内戦状態”なのです。

T−今、南房総に移住してくる若い世代の心のよりどころというか、共通した価値観に「愛」があるように思います。
  個別の愛ではなく、普遍的な「愛・LOVE」です。それが行動の原動力のように見えます。
  真魚さんの行動の原動力はなんでしょうか?
  


M−ボクの中には静かな湖があるだけです。それはただただ静かにあるだけです。
  そこに”怒り”が投げ込まれた時、ボクのアクションは始まるのです。
  例えば映画「六ヶ所村ラプソディー」を上映する時でもそうです。
  ”これを見てくれ”と叫んでいるのです。
  でも、awa our market を開催する時は、”楽しく・・・”です。
  そういう意味では僕は、「両刀使い」かも知れませんね。


  僕にはアメリカ先住民の影響が強いのです。
  20歳くらいの時にアメリカで、ロックバンドへのインタビューをしたことがあるのですが、
  ”ネイティブアメリカンのことは聴かないでくれ”といわれ、アメリカの歪みを感じました。
  僕は、弥生時代以降の文明社会の生き方と、何万年も前からの縄文的生き方との争いとして歴史を見ているのです。

T−欧米人は”人間と自由”を根本的なテーマにし、日本人を含むアジア人は”人間と自然”を
  根本的テーマとしているという考えがあるのですが、どのように思われますか?



M−”自由だ、だが自然がない”と人は思っているのです。だから、システムの外側に無事脱出したと
  移住者は思っているのです。でも、この社会は全然自由ではない。奴隷状態です。


  房総半島1万年の歴史を研究すると、私達がどのように奴隷化されたか、
  飲むもの、着るもの、食べるものの自由を奪われてきたか。自由がないのです。
  だから自由度をあげる必要があるのです。生き方を選べないのです。違う生き方を押し付けられる。
  「正しい日本人像」を当てはめられているのです。人々は被害者なのです。
  社会は変わらざるを得ない。自転車操業はもうおしまいです。システムは機能しなくなっているのです。




T−このシステムを変える方法は?


M−石油文明はもうそんなに続きません。新しいライフスタイルを考えないと埋没するでしょう。
  ”大きな物語”が必要です。数十年間のライフスタイルが世界を根底から変えてしまったのです。
  石油に代わって自然エネルギーを使ったとしても、ライフラインの最低限を確保できる(豆電球がつけられる)程度なのです。


  従って、根本的にライフスタイルを変えるしかないと思います。
  石油の枯渇は、人々が根本的にライフスタイルを変えるきっかけとなるでしょうね。



T−日本では平穏な時代には”和の精神”が支配ますが、激動期、例えば、戦国時代、幕末期、1960年代には
  ある種の能力主義と強いリーダーシップが支配するとの考えがありますがどう思われますか?



M−誰も責任を取りたくないのです。でも、激動の時代には、責任を取らざるを得ないのです。
  目標がはっきりしていない時、目標を示すリーダーが必要です。
  視点を示す、システムの変化を見せられるようなリーダーが各地域で必要かも知れません。
  フリーペーパーやメディアでもよいのですが。



T−1960年代の激動期には、無意識よりも意識がはるかに優位に立っていて、
  人間に意識を変革することに社会運動の精力を投入しましたが、
  現在では、むしろ無意識が注目されているように見えますが……?



M−広告の世界でもそうですが、無意識を戦略的に使います。違う部分の欲望を掻きたてます。
  魂を揺さぶる広告で、言葉では届かない部分へ届けるのです。
  言葉で攻めて行くと、それは直線的で、伝わらない部分が多く出てきます。
  何かを追求し、音楽を聴いているとき、たまたま隣にあったものに引かれることがあります。
  音楽は、視点を変えさせることが出来ます。それが、アーティストの存在理由なのです。
  日々の暮らしの中で感じた違和感というキズや裂け目を、本質的な気づきに導くのもアーティストの大切な役目だと思います。


  視点を変えさせる力がアートにはあります。だからボクはアーティストでありつづけたいと思っています。
  人々の考え方や見方を提示するのです。誰も傷つけたくないのです。
  だから、Aという問題について直接語らず、Aについての音楽を論じる。
  小出しにし、遠まわしな会話でコミュニケーションをはかろうとします。
  傷つかない方法なのです。



T−キリスト教文化の中では、神=絶対的真理が科学にとって代わられたとしても、
  「真理に従う」「神が見ている」という心理的伝統は、まだまだ強く生きていると思われますが、
  人間を律するものを何に求めますか?



M−昔は「世間」によって自らを律していましたが、今は縦軸が崩壊したことによって暴走しています。
  秋葉原事件のように。”みてなきゃいいじゃん”ということになってしまっているのです。
  縦軸を再構成する必要があると思います。正しく機能しているコミュニティには、垂直方向にも世界が広がっています。
  人が「正しく」生きようとする意思は、この垂直方向の軸によって増幅されます。お天道様が見ているのです。
  誰も見ていないわけではありません。
  人は、自分が生きる世界に見える様々な事象にそれぞれ物語を持っていた時代、
  人が神話のような時間の中で生きていた時代、ボクらは今そこに学ぶべきなんだと思っています。