- 農人舎(上野治範さん) -

T=田中正治 U=上野治範さん


T−いつ鴨川に移住されたのですか?
U−バブル絶頂期・崩壊直前・1991年です。
Tーいい感してますね!(^^)

T−絶頂期の東京での広告・企画の仕事をやめられた理由は?
U−”このままの人生で終わるのはいや!”だったから。その前から、
有機農業のメッカ・埼玉県小川町の金子美登さん宅に、
毎週末通いはじめていました。自然や農
への憧れですね。そこには静かな時間が流れていて、
広告業界とは対極的な世界でした。

T−鴨川での住まいは?
U−最初は、近くのお寺を借りたんです。
“お金は要らないよ”といわれたんですよ。
でも、それじゃ申し訳ないので、年5万円お支払いしました。
夫婦で。
息子は「八ヶ岳実践農業大学校」を卒業して今は鴨川で兼業農業をしています。

T−おしごとは?
はじめ、友人が亀田病院系・KTSの企画の仕事を紹介してくれたので、
  嘱託になりました。

T−農人舎を始められたきっかけは?
U−KTSの資材置き場を譲ってもらって始めたんです。
  農人舎という名前は、
  宇宙飛行士の秋山さんが「農人日記」という本を書いていたので、
  「農人」という名前を使わせてもらっていいですか?と問い合わせたところ、
  ”いいですよ、無農薬栽培でやってくださいよ”ということだったので、
  使わせてもらいました。

T−農人舎で何をやろうと思われたのですか?
U−地域でコミュニティービジネスを作りたかったのです。
  若い移住者も生活できるように。
  小さなことで、お金が入ればいいなという思いで。
  そのためには、まず自分達がコミュニティービジネスを立ち上げる。

T−それで草木染を?
U−ええ、東京の友人から、“植物を活用したビジネスをやろう。
  草木染は体にいいよ”といわれたんです。
  草木染は、「外服薬」といわれるんですね。
  つまり、着る薬です。
  胃腸病だったら、ウコン、キハダの服を着るとか・・・。
  植物の波動、自然治癒力ですね。

T−農人舎の草木染の独自性は?
U−布を処理して、色が入りやすいように、独自開発しました。
  一般には染料を買ってくるか、自然の草や花を煮出して染めるのですが、
  農人舎では、草木の抽出機械を開発して染料そのものをつくっているんです。
  それと、草木を蒸留させて、化粧水を作っています。
  「香草美肌水」と名づけていて、インターネット販売もしています。

T−若い人へのコミュニティービジネスの勧めは?
U−商品の企画・開発をして、生産・販売をしたい人に任せたいと思っています。
  自然を活かしたビジネスですね。
  例えば、トウガラシをテーマにトータルな商品企画をする。
  トウガラシ模様のネクタイ、トウガラシで染めたTシャツ、
  魔よけトウガラシネックレス、
  お店もトウガラシ色で内装・・・・といったぐあいにね。

T−う〜ん、おもしろいですね!
U−”細部に神が宿る”という言葉があるでしょう。
  おもしろいネーミング、パッケージ、物語をつけると、
  新しい商品が出来るんです。
  そして地域のデザイナーとコラボするのです。

T−上野さんの夢は?
U−地域の若者も高齢者も、一緒になって何かを作っていける、
  そういう役割の一つに農人舎がなれればいいな。
  小さな仕事を一杯作っていきたい。

U−3つのことが柱になるでしょうね。
  一つ目は、地域通貨安房マネー」。これは既にあります。
  二つ目は、コミュニティービジネス研究会。既に「一期倶楽部」があります。
  三つ目は、人間いかに生きるか研究会。これは未だないですね。

T−上野さんの哲学は?
U−環境問題の基本は、「自分が死んだ後は、関係ない」です。
  だから、自分とは何かを追求すべきなのです。
  生きている根拠は実はないのです。
  だから、死が織り込まれた存在であることを認識すべきなのです。
  何の根拠もない自分だからこそ、生の根拠を、
  行動を通して作っていかなければなりません。
  神は外にも内にも存在しません。
  人間は自分という存在を確かめたいのです。
  欲望や所有欲の根本は自我ですが、自我を越えると、
  他人も動物も植物も自分とぶっつづきの世界が見えてくるかも知れません。
  新宿に「哲学cafe」があります。
  この地域でも、哲学cafeがあるといいですね。

T−ありがとうございました。とても、興味深かったです。