Love & Rice

むむ?最近変な茶色いバスが止まっているな?と思っていたら、
テントやちっちゃな小屋が建ち、若い男女がたむろし始めた。
鴨川・大山千枚田のごく近くだ。

↑寝室兼事務所の大型バス

今年の冬のある夜、鴨川自然王国の食堂にいたら、若いお兄さんが入って来て、
”風でテントが吹き飛ばされたので、一晩泊めてほしい”
とスタッフのミツオ君に話している。
あの茶色いバスのお兄さん達だ。
”ええ根性してるやんか!”と俄然僕は注目しはじめた。

あれから半年以上がたち、いろんな建物が増え続けている。
ドラムカン風呂、コンポストトイレ、黒いフォルクスワーゲン
食堂もどき、ドラムカン風呂に代わる湯舟のあるすてきな風呂。
眼下を見下ろすと棚田の美しいスコープ。
その中に手植えの小さな4枚の棚田もある。
生まれてはじめて、田植えをしたという。

↑ドラムカン風呂

↑手作りお風呂

↑手前の4枚の田んぼの田植えを完了

手づくりで家も建ててしまおう、cafeもひらきたいという、
菅間君(31歳)と岩崎まゆちゃんのカップル。


菅間君

まゆちゃん

なんで、鴨川に来たの?とたずねてみると、
”住む場所を探す旅の途中、ここが雰囲気がよかったので。
たまたま鴨川自然王国のミツオ君を久しぶりにたずねる途中でオシッコがしたくなり、
オシッコをしながら、”ここ眺めいいね”、と思った場所が、
実は、後にミツオ君に紹介された農人舎(不動産)の沢井さんと上野さんが、
”ここいいよ”といって紹介してくれた同じ場所だったんですよ”、と菅間君。

↑ロケーションは最高

こんな偶然ってあるんですね!2人は”あの場所に呼ばれている気がした”と次の日仮契約をした。
契約した後、2ヶ月間九州に向かって車で旅をした。
旅で出会った人達から次の生活のヒントをたくさんいただきました。”

↑この車で日本中どこでも


その旅の途中にMercyと会う。
Mercyはオーストラリアの旅で出会った日本人で、
菅間君と日本に帰ってからの夢を語り合った仲。
意気投合し鴨川で共同生活をしようということになる。
現在は、Mercyと彼の恋人、てるちゃんと彼女の恋人(ミッチー)の3カップルで共同作業を行っている。
フィールドの名前は、Love & Rice 。
愛とお米が大事だと。



右から、てるちゃん、Mercy、まゆちゃん(友人宅にて)



あの場所で生活する目的は?と尋ねてみると、”自分らしく生きること。
農的生活を通して、したいことをしていける雰囲気を少しづつ作れたらいい”と。

↑生活の臭いぷんぷん

ニートの人達にも勇気になる生活を知ってもらえる場所にしたい”。
菅間君は25歳のころ、近所のおばちゃんが自宅を開放してニート
引きこもりの子供たちの溜まり場にしていた。
そんな場に興味があったのだ。
だから、”誰でもWelcomeの場を作りたい。
根っこの部分にはFree schoolの考えがある”という。

↑家の材料になる電柱と枕木

↑もらい物の薪ストーブで煮炊き

でも、Free schoolを作るのが目的ではない。
”目的は変化していく。
来たものを全部受け入れ、出会った人によって変化していく”と。
”コミュニケーションの場、たまり場としてのcafeも作りたい”と夢は膨らんでいく。

生計はどうたてているの?との問いに、菅間くんは、「バンブーサーフボード」の販売。
まゆちゃんは「ケーキ販売」、てるちゃんは「ヨガ」の指導とこたえてくれた。

↑バンブーサーフボードでにっこり

↑サーフボードの模様

連日の大工仕事に疲れがドッと出た菅間君はお休みタイム。
まいちゃん、てるちゃんと僕は、ヨガ、野口整体のお話にはまり込んでしまいインタ
ビューどころではなくなったのであった。

↑しっかり工具もあるね

↑画面左に2階建て住居を建築予定

実生活(ハード)と離れた情報化世界(ソフト)のつかみ所のない、
実在感の希薄な世界のふくらみの中で、確かな自分の存在感、
自律した実在感を握り締めたい、人間の確かなきずなを握りたい、
そんな思いが、3組の若者達を突き動かしたのだろうか。
格差社会の存在は、そうした衝動の追い風になっているようだ。

半農半X的新しいライフスタイルを、自然体で創造している、
そんな若者の登場に乾杯!

笹谷窯(杉山春信) 鴨川市

awa_renaissance2008-05-12

■text:田中正治

★鴨川の北西・金束の山の中、平家の落人の隠れ家のような空間に笹谷釜がある。釜の主は杉山春信氏。
山形県の雪深い小国町の生まれで、少年のころから画家が夢だった。”貧乏画家”として苦闘するも、メシは食わねばならぬと、1977年 鎌倉市埋蔵文化財調査に従事。中世古陶に魅せられ、研究とともに作陶開始。はまってしまった。人生はわからないものなのだ。1988年 鴨川市に中世古陶を基本とした穴窯を、築窯当地の古来の名から「笹谷窯」と名付け開窯した。

★作品の展示場、陶芸教室、作品製作の場、2階の絵の制作場(今も少年の夢は追っている)、二つの穴釜・・・・など、ほとんど手づくりとは驚き。古民家の廃材を再利用して、自力で立ててしまったという。

★中世古陶は”穴釜”で制作されていた。土で作った5m程の登り釜なのだが、”登り釜”のよ うに中が部屋で仕切られていない。一つの部屋なので、炎が直接全体に廻る。炎の中で生まれた木の命をまとったやきもの、それが『木命衣』(もくめぇい)なのだ。

★ 実はぼく(田中masa)は、4年間笹谷釜の工房の2階に下宿していた。まあ、夜の11時ごろ、寝に帰るだけだったけど。夜中、作品と格闘している杉山さんに、ばかげた批評を飛ばしたりもした。彼は”おやじジャグの名手”なのだ。Q「今までに、苦しかったことはどんなことでした?」、A「そうね、食べ過ぎた時かな〜」。”おやじジャグ”ですよね。

★ 出来てしまうとその作品に関心がなくなってしまうらしい。Q「芸術作品を制作しているんですか?」、A「基本的には芸術作品。特に大きいつぼなどはね。でも、コーヒーカップは使ってもらうために商品としてつくっているよ」。僕も1−2度釜入れの時、蒔きを燃やすのをさせてもらった。とにかく熱い。一週間ぶっ通しで蒔きをくべ続ける。でも、炎って不思議ですよね。じっと見ていても飽きない。黄金色に輝いている。

★ 2004年から、杉山さんは、水田をやり始めた。それも4〜7反(1200坪〜2100坪)。Q[もう陶芸どころじゃないんじゃないの、杉山さん?] A「農業が作品に影響してくるかも知れないからね」。 『食と器の体験』 コース、現在募集中。

★ Q「陶芸をしている目的は?」、A「芸術作品で一発!という考えは全くない。人間生きていくために特別なことはない。自分がしたいことを出来る環境を手に入れたいだけだ」。「水田をやっているのも、何でも自給しようと思ってるんじゃない。地域で自給していけばよいと思っている。いろんな人の特技と作品・商品を地域コミュニティーでお互いに支えていけばいいんじゃないかな〜」。

★ 鴨川移住17年。去年、三人目の”空都(そらと)君”が誕生。”生活者的陶芸家””百姓陶芸家”は、しっかり大地に根を張りつつあるようだ。